“公害Gメン”田尻宗昭(たじりむねあき/1928年2月21日-1990年7月4日)が暴いた巨悪とは!?公害事件の刑事責任を日本で初めて追求した公務員 /奇跡体験!アンビリバボー

“公害Gメン”田尻宗昭(たじりむねあき/1928年2月21日-1990年7月4日)が暴いた巨悪とは!?公害事件の刑事責任を日本で初めて追求した公務員 /奇跡体験!アンビリバボー

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公害事件の刑事責任を日本で初めて追求し“公害Gメン”と呼ばれた公務員、田尻宗昭(たじりむねあき/1928年2月21日-1990年7月4日)さんが、2015年10月1日(木)19時57分から放送の「奇跡体験!アンビリバボー」(フジテレビ系)で取り上げられます。

いまから40年以上前、第四管区海上保安本部四日市海上保安部に警備救難係長として赴任してきた田尻宗昭(たじりむねあき)さんは、密漁の取り締まりに従事していました。

田尻宗昭 – Wikipedia

出演者

<ストーリーテラー>
ビートたけし

<スタジオメンバー>
剛力彩芽、設楽統・日村勇紀(バナナマン)

<スタジオゲスト>
あき竹城、木村文乃、坂下千里子、新川優愛

番組公式サイト

奇跡体験!アンビリバボー – フジテレビ

[box type=”shadow” ]福岡市生まれ。1944年、宮崎県立宮崎中学校(現宮崎県立宮崎大宮高等学校)卒業。1948年、官立高等商船学校(静岡県)航海科を卒業。

門司海員養成所教官を経て海上保安庁に入り、巡視船船長などを務め李承晩ライン警戒、北洋海難救助などに従事した。1968年、四日市海上保安部警備救難課長。在職中、石原産業四日市工場、日本アエロジル四日市工場による四日市港への工場排水垂れ流しを摘発。日本の公害事件で初めて刑事責任を追及、行政と産業界の癒着にメスを入れた。

1973年、美濃部亮吉都知事の要請で東京都公害局(現環境局)規制部長に就任した。日本化学工業工場跡地(江東区・江戸川区)の六価クロム鉱滓投棄を明るみに出し、住民と労災被害者の救済に尽力する一方で、全国各地の公害・大規模開発反対運動と精力的に交流・支援した。1978年には、国の二酸化窒素(NO2)環境基準緩和を「環境行政の後退」と厳しく批判、NO2訴訟の先頭に立った。1979年、東京都公害研究所(現東京都環境科学研究所)次長となり、廃乾電池焼却による水銀汚染や、ダイオキシンなど有害化学物質による環境汚染に警鐘を鳴らした。1985年、論文「タンカー事故防止対策と港湾計画」で東京工業大学から工学博士号を取得。のち東京都職員研究所教授。

1986年、社団法人神奈川労災職業病センター所長に就任。アメリカ海軍航空母艦ミッドウエイによるアスベスト廃棄物投棄を摘発し、また、白蝋病被災者への労災補償打ち切り反対、制度改悪反対闘争の先頭に立った。

のち、地方自治総合研究所委嘱研究員、1989年神奈川大学特任教授、1990年全国労働安全衛生センター連絡会議初代議長を歴任した。

公害研究委員会、日本環境会議、労災補償制度問題研究会の会員や、東京大学・和光大学、法政大学、立命館大学等の非常勤講師を務めたことがある。「社会党に政策を提言する会」にも積極的にかかわり、他方社交ダンスやカラオケを好んだ。

没後、香典を元手に「田尻宗昭記念基金」が設けられ寄付金も募って、1992年-2007年の16年間にわたり「環境および労働安全衛生をはじめとした様々な分野で、社会的不正義をなくすために熱意ある取り組みをされている個人・団体(国籍不問)」に対して毎年「田尻賞」が贈られた[1]。

引用元:「田尻宗昭」(2015年3月14日 (土) 11:16(日時は個人設定で未設定ならばUTC)。)『ウィキペディア日本語版』。http://ja.wikipedia.org/wiki/田尻宗昭

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